Motorsport
RECARO RACING TEAMより地元鈴鹿凱旋の佐々木孝太選手。参戦したのは、TOYOTA GAZOO Racing GR86/BRZ Cupという国内屈指のワンメイクレースである。
佐々木選手は、1995年に鈴鹿FJ1600で四輪レースデビュー。以降、F4、フォーミュラドリーム、F3などで経験を積んだ。2000年以降は、SUPER GT(当時は全日本GT選手権)で国内屈指のレーシングチームに数多く所属した。2010年から5年に渡りSUBARU(チームR&D SPORT)でSUPER GT300に参戦していた時には、最多ポールの記録を更新し、7回の表彰台(うち5回の優勝)を獲得するなど、国内レースにおけるSUBARU人気を高めたひとりでもあった。
2019年に発足したRECARO RACING TEAMは、この佐々木選手と共にスタートした。参戦するのは、TOYOTA GAZOO Racing GR86/BRZ Cup プロフェッショナルシリーズ。SUPER GT500やフォーミュラで活躍する現役ドライバーがひしめく国内で最も過酷なワンメイクレースである。
RECARO RACING TEAMにとって鈴鹿サーキットは鬼門である。2019年のチームデビュー戦以降、2020年-2021年は、コロナウイルスの影響により開催中止。2022年は、十勝大会にて車両規定のペナルティを受け、次戦であった鈴鹿大会に出場することができなかった。2023年-2024年は、チーム事情によりエントリーは小暮卓史選手と近藤翼選手のみ。発足依頼、RECARO RACING TEAMに所属する佐々木選手が鈴鹿大会に参戦したのは2019年のみであった。そのため本人たっての希望で、今年の佐々木選手がエントリーするレースを地元鈴鹿のレースと決めていた。
レース2週間前には、鈴鹿サーキットにてチームのテスト走行を実施した。DUNLOPのNewタイヤも事前に確認することができた。LSD含めたマシンのセットアップもある程度は方向性を見極めることができた。レースウィークのチーム合流直前には、佐々木選手とチーム代表のRECARO前口氏が連絡を取り合い、再度マシンのセットアップについて話し合った。
2025年シーズンも残り2戦のみということもあり、何とか良い結果を出したいと強い想いで挑んだチーム。地元で鈴鹿で良い結果を出したいと力の入る佐々木選手。チーム内には、いつも以上に張り詰めた空気が漂っていた。
土曜日の予選は、あいにくのハードウェットコンディション。DUNLOPタイヤよりもBRIDGESTONEタイヤの方が優位と言われている。チームは全車DUNLOPタイヤ。トップ10をBS勢が独占する結果となり、佐々木選手は26番手スタートと厳しい状況であった。決勝がスタートし、佐々木選手のグリッドスタートはとても素晴らしかった。しかし序盤のS字コーナーにて、突如前方に割り込んだ他車の接触を受け、コース外に弾き飛ばされてしまった。S字コース外は芝生エリア。朝から降ったり止んだりを繰り返した雨によって滑りやすくなっている芝生では、マシンコントロールが不可能。そのままクラッシュパッドに突き刺さることとなった。
その後、自力でコース内に復帰するも、足回りに大きなダメージを受け、やむなくリタイア。強い気持ちで挑んだ鈴鹿大会の決勝。本レースのスタートラップは、どのサーキットでも少なくともセクター1までは、2ワイドや3ワイドの状態となる。参戦しているドライバーであれば誰もが知っている。プロであれば尚更「逸る気持ち」を抑えて細心の注意でスタートする。なぜならプロドライバーこそ、クラブマンシリーズに参戦するジェントルマンドライバーのお手本になるべきだからである。ところが接触したドライバーが謝罪と共に口にしたのは「全く見ていませんでした」であった。プロフェッショナルリズムの欠如である。スターティンググリッドTop20にも入らない順位からのスタートで、それほど危険におよぶ走りだしが必要であったのだろうか。突如ラインを変えながら、まるでサッカーやラグビーのようなタックルをくらったのである。佐々木選手もチームも、激しい憤りを飲み込んだのである。
これは明らかに危険走行である。重大な罰則対象である。にもかかわらず、レース中はおろか、決勝レースの暫定結果、正式結果でも、そのペナルティは一切伝えられていない。接触したプロドライバーもさることながら、それ以上に問題なのは、本大会の運営側にある。
地元凱旋で結果を求めた佐々木選手であったが、無念極まりないレースとなってしまった。次戦は、最終戦となる岡山国際サーキットとなる。来場する多くのファンのためにもプロらしいレースを見せて欲しい。