CHANGE YOUR SEATシートが変わればクルマも変わる

RECARO

ドイツ南西の端に“ヴァイル・アム・ライン”という小さな街がある。この街では、2000年ごろから街全体で「椅子興し」と呼ばれるプロジェクトが展開されている。街の至る所には、巨大な椅子のオブジェが建てられ、このプロジェクトにはふたつの目的があると言われている。ひとつは、街を訪問してくれる人々に名物でもある椅子をPRするというもの。そしてもうひとつの目的は、わたしたちが忘れかけている「椅子に対する文化的な価値」を再認識してもらおうというもの。

椅子文化に対する長い歴史をもつ欧米諸国。その歴史は、あらゆる壁画や絵画にも表現されている。そして、そこにはひとつの共通点がある。それは、権力をもつ人を表現しようとするとき、そこには必ず椅子が存在するということ。王は椅子に座り、椅子は美しく装飾されている。椅子というのは大昔から存在し、かつては権力の象徴でもあったと言える。さらに椅子の形、構造、装飾などから、私たちはそこに座る人の価値を想像することができる。

私たち日本やアジア諸国においては、欧米諸国と比べて椅子文化に対する歴史は短いとも言われている。しかし、椅子ではなく「座る」ということについては、世界中のどこでも同じように長い歴史をもっていると言える。日本やアジア諸国の文化にも、長い歴史の中で宗教的な考え方も含め「座」に対する美学というものが存在している。日本でも当時の権力者はひとつ高い位置に座していた。権力を象徴するひとつの手段であったことも見受けられる。

今では、椅子という文化が私たちの日常生活になくてはならないものとして入り込み、また同時に椅子の存在が自然になるにつれ、その存在意義(文化的な価値)というものを忘れかけてきているようにもみえる。

しかしながら、よく見ると私の日常生活に「座」へのこだわりは根強く存在している。新幹線のグリーン席や飛行機のビジネスクラス、スタジアムのVIPシートやコンサートホールなど、多くの場所においてひとクラス上の「座」を選択することができる。料金を追加してでも、座り心地の良い椅子で過ごしたい、良い椅子、良い位置、座る環境を高めることで快適な時間を過ごすことができるというのは、ごく普通に"文化的な価値"として私たちの生活に存在している。

何故、椅子が人の価値を創造し、そして「座」に対する美学までもが存在するのか?そこに何か意味があり、その意味こそが人々が大切に守り続けているものである。座るということ。選択するということ。ひとりひとりの「座」の美学。文化的価値。RECAROがRECAROたる由縁。


pagetop