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RECARO

バウハウスの初代校長ヴァルター・グロピウスは、「芸術家と職人の間に本質の差はない。芸術家は崇高な職人である」と宣言した。精神的・神秘的、豊かな創造力で、自分の中にある感性を表現する芸術に、機能的・合理的、生産性の高い思想と技術を融合させたのが、1919年にヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された教育機関「バウハウス」であった。工芸学校と美術学校が合併し、美術と建築に関する総合的な教育を目指した。

産業革命後の20世紀初頭。彫刻・絵画・写真・建築、あらゆる芸術のあり方、思想に大きな影響を与えた。ある特定の人々だけが興味・関心をもつ芸術。当時は、この芸術が上流階級と市民階級の世界を分断することもあった。ただ美しい。ただ独創的。権力の象徴とも言える華美な装飾。趣味趣向のものであった芸術に、作りやすさや使いやすさを求めた。ゆえにバウハウスの教育カリキュラムには、豊かな創造力をもつ芸術の感性を解放しつつ、美術・建築の造形基礎教育と、ものづくりに必要な技術を学ぶ工房教育があったという。バウハウスが創り出したデザインの思想は、機能的かつ合理的。人々の日々の生活を豊かにする「必要なもの」へと紡いだ。

バウハウスが存在したのは、1919年から1933年までのわずか14年間。短命にもかかわらず、バウハウスが創り出したモダンなデザインの「枠組み」は、美術・建築、あらゆる文化と産業の世界に大きな影響を与えた。今なお、その功績は色褪せていない。

バウハウスと同じドイツ生誕のRECARO。かつ同じ時代を駆け抜けたRECAROにとっても、バウハウスの思想は間違いなく受け継がれている。RECAROのDNAを具現化する哲学のひとつに「デザインは求める機能・性能を追求した結果である」というのがある。どんな人に、どんな使い方をして欲しいと考えているのか。そのために必要なフォルムは?性能は?最も大切に考えるべきは「身体にかかるストレス・負担を軽減することができる性能・機能」である。運転という作業を支持するために全体のフォルム、構造、素材、品質は、どうあるべきか。機能と性能を追求し、本物を追求したものは、結果として美しいものである。人間工学と整形医学に基づき、人間の身体にもっとも自然なフォルム。人間の身体の機能・構造にストレスのないフォルム。人間のフォルムが美しいように、RECAROも必ず美しいものになる。それがRECAROの思想である。

ゆえに、ただフォルムを真似たもの。ただデザインを模したもの。ただ見栄えの良いデザインを施したもの。デザインのためのデザイン。それはどこまで極めても全く異なる。本質が違えば、同じものにはならない。RECAROのこだわりは、グロピウスが提唱した「崇高な職人」なのかもしれない。機能的かつ合理的。人々の日々の生活を豊かにするもの。RECAROにしかない不変的な価値である。


(写真 The Bauhaus Building in Dessau, Germany; image taken in 2003)


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